「夫と考えが合わないな」と感じること
ありませんか?
日常会話のテンポや
物事への感じ方、反応の仕方
「えっ、なんでそうなるの?」と
モヤモヤしたり驚いたり……
夫婦の間でも案外あるものです。
運転中、前の車が遅いと
夫はすぐにいイライラしたり
文句を言い出します。
「何やってんだよ」「もっと早く行けよ」・・・
助手席に座っている私は
そのたびに心がざわつき、嫌な気持ちになります。
最初は
「短気なんだな」
「思ったことがすぐ口に出る人なんだな」
と思っていました。
でも最近、それだけでは説明できないような
「根っこ」の部分に気づいた気がするんです。
違う世界を生きている夫と、穏やかに暮らしていくために私がしていること
こんな毎日の中での気付きを
今回はまとめてみようと思います。

Contents
視野が狭いってどういうこと?
前の車が少し遅いだけでイライラし、
口に出す夫。
なぜ道を譲らないのか、
なぜ右折が遅いのか、
なぜウィンカーが遅いのか。
でもそれって、
本当に「相手がおかしい」んだろうか?
たとえば相手が初心者だったら?
高齢者だったら?
道に不慣れな人だったら?
あるいは、急いでないだけかもしれない。
のんびりした人かもしれない。
そういう背景を一切想像しないまま
「イラつく」というのは、
「相手の事情が見えていない」
「想像の枠が狭い」…
つまりは、
視野が狭いということなんだと仮定します。
「自分ならこうする」が絶対で、
それ以外の行動をとる人は
「間違っている」と感じる。
視野が狭いとは、
「他人の現実」が見えにくい
ということなのかもしれない。
私たちはつい、他人の行動を
「いいか悪いか」
「正しいか間違っているか」
で判断してしまいます。
でもその前に、
「その人にはその人なりの理由があるかもしれない」
そんな風に考える事ができたら、それだけで
他人との関わり方はずっと穏やかで、
優しいものになる気がするんです。
たとえば、
ウィンカーを出すのが遅い車がいたとしても、
その人は道に不慣れで、次にどちらへ曲がるか
迷っていたのかもしれない。
前の車の発進が遅くても、
もしかしたら高齢の運転手で
慎重に運転しているのかもしれない。
あるいは、
子どもが車内で大泣きで、
意識が逸れていたのかもしれない。
そんなふうに想像するだけで、
「なんでそうするの!?」という怒りが、
ほんの少しだけ、やわらかくなる気がするんです。
自分の「当たり前」で人を裁くということ
夫にとっては
夫にとっての「正しさ」や「常識」がす
べての判断軸になっていて
それから外れた行動は
「迷惑」だったり「バカ」だったりする。
でも世の中には、
自分とは違う感覚で動いている人がたくさんいる。
朝のルーティン、物の置き方、メールの返信速度、
子どもへの接し方……
何気ない日常の中でも、
私たちはそれぞれの
「当たり前」を生きている。
例えば私は
相手の気持ちを想像してから言葉を選ぶタイプ。
夫は
まず自分の考えを口に出してから、
必要があれば修正するタイプ。
この違いに気づかず、
どちらか一方のやり方だけが「正しい」と思っていると、
コミュニケーションはどんどん苦しくなる。
自分の当たり前を絶対だと思っていると、
他人のやり方はすぐ
「非常識」「配慮が足りない」
と感じてしまう。
それは、
視野が狭い状態なのかもしれません。
大切なのは、
自分の当たり前が「すべてではない」
と知っていること。
そして、
それ以外の当たり前にも世界がある、
と気づくことだと思うんです。
自分の当たり前は、他人の当たり前とは限らない
正しさは一つではないし、
世界は「みんなちがってみんないい」
でできているんですものね。

世界が違う人と暮らすということ
最初は、
夫のそうした発言に毎回反応していた私。
「今の言い方、キツくない?」
「そんな言わなくてもよくない?」
でも言えば言うほど、空気が悪くなる。
私が指摘するたびに、夫は不機嫌になり、
「俺を認めず批判しかしないお前のせいだ」
と言わんばかりの責任転嫁。
そして
私の口数が減る。
また空気が凍る・・・その繰り返し。
まるで「怒っている自分」を
否定されたと感じているかのようでした。
そしてこんなことが
何度も繰り返し起きているうちに
あるときふと気づいたんです。
あぁ。この人は、私とは違う世界の中で生きてるんだな、と。
この人にとっては
「目の前の現実」と「自分の感じ方」がすべて。
そこに「他人の視点」や「別の可能性」が入る余地は、
もともとないのかもしれない。
あきらめではなく、理解
「自分とは世界が違う人」と暮らすには、
正そうとしすぎないことも大切
という事に気付きました。
これは、相手に対して「諦める」のではなく、
「理解しよう」とすることなんだと思います。
人はそれぞれ、違う景色を見て、
違う価値観で、違う物語を生きている。
私の正しさと、夫の正しさは、
同時に存在できる。
どちらか一方を消すのではなく、
並べて置いておくことができたら、
きっとそのほうが、関係はうまくいく…
この違いを理解し、
それぞれのやり方を尊重することこそが
お互いが穏やかに暮らすための秘訣なんだときづいたんです。
私の視野を広げるという選択
最近は、夫の言葉を聞いても、
まず心の中でこう唱えることにしました。
「この人の世界では、今、それが正解なんだな」
そう思うと、いちいち傷つかなくなりました。
いちいち正す必要がないと気付いたんです。
むしろ、
「この人の視野」を通してしか見えない世界を知ることが、
私にとってはひとつの学びになっていたんですね。
たとえば、
私が当たり前に「譲るべき」と思っている場面で、
夫が「譲らない」とき。
それは「冷たい人」ではなく、
「自分のペースを守る人」なのかもしれない。
私が「人の気持ちを先回りして考える」
という事を良しとしている一方で、
夫は「自分の気持ちに素直でいること」
という事を大事にしているのかもしれない。
それぞれに良さがある。
だから、私の視野が広がることは、
相手を受け入れるためでもあるけれど
同時に、自分自身を縛っていた
「正しさ」からも自由になることなのかもしれない
今では、
「夫の見方」にも意味があるのかもしれない
と少しずつ思えるようにもなりました。

まとめ
- 「思ったことをすぐ言う人」=ただの短気ではなく、「視野が狭い」のかもしれない
- 「すぐ怒る人」=思いやりがないのではなく「視野が狭い」のかもしれない
- 視野が狭い人は、他人の背景や事情を想像する余裕がない
- 一緒に暮らすには「世界の違い」を理解することが大切
- 相手を変えようとするより、自分の視野を広げることで心が軽くなる
- 視野を広げることは、自分を縛っていた「こうあるべき」から自由になることでもある
- 世界の違う相手と暮らすことは、自分をより柔軟にし、豊かにしてくれる経験になる
毎日同じ空間にいて、同じごはんを食べて、
同じ世界を見ていても、
夫と私は、たぶん
まったく違う世界を生きています。
見えている景色も、気になることも、
物事の受け止め方も全然違う。
でも、その違いを「悪いもの」としたり、
「同じにしよう」と努力するのではなく、
「違うまま」で穏やかに共に過ごすこと。
これこそがお互いの幸せなのかもしれない、
そう感じました。
おわりに
夫の言動にイラッとすることも、
もちろん今でもあります。
でも、
「なんでそうなるの!?」と腹を立てるよりも、
「そうなる背景に何があるんだろう?」
と考えるようになってから、
私自身の心がずっと穏やかになりました。
価値観の違いは、ぶつかるときには厄介だけれど、
理解しようとすれば、そこには学びや気づきがある。
「違う世界を生きる相手と、今日も一緒に暮らしている」
ということ。
それを面白がれるようになったら、
夫婦関係は少しだけ優しくなれると思うのですが、
いかがでしょうか?
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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