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『夫婦なのに、こんなに遠い』という感覚
夫婦なのに、まるで“違う星”で暮らしているかのように感じる瞬間があります。
同じ空間にいて、
同じ時間を共有しているはずなのに、
言葉がすれ違い、
感情が通じない。
「私がどう思っているかには興味がないのに、
自分のことばかり語ってくる」
そんな日々の中で、
怒りや悲しみよりも先にやってくるのは、
無力感でした。
でもこの感情をそのままにしておくと、
自分の心がすり減っていくだけだと気づきました。
だから私は、書くことを選びました。
これは愚痴ではなく、
“自分の心を守りながら暮らす”ための
学びの記録です。

ある日私は家事もできず、夫は怒った
ある日、お昼ご飯を用意できないまま
時間が過ぎてしまいました。
地区委員の活動が立て込んでいて、
頭も手も心も余裕がなかったんです。
その日、夫は怒りました。
「昼ごはんも作れないなら、
そんな活動やめてしまえ」と。
私は言い返しました。
「好きでやってるわけじゃないよ。
子どもが登校班に所属してる限り、
誰かがやらなきゃいけないのに」
でも夫はこう言い放ちました。
「無理なら、登校班抜ければいいじゃないか」
一瞬、時が止まったような気がしました。
“家族”という枠で考えることを、
まるで最初から放棄しているような言葉。
それは、私の中でずっとこらえていた
感情の糸をピンと張らせました。
ただ『しんどい』と言えなかった私
夫は、
よく「疲れた」「しんどい」
と言います。
体調が悪い、精神的に限界だ、
もうダメだ…と口に出すたび、
私に求めてくるのは共感と肯定です。
でも、私はそれを自分から言えません。
私が子供の頃、父がしょっちゅう
「しんどい」と言っていて
母が、嫌~な顔をしていたところを見ていたので
「しんどい」「疲れた」
というワードはにとに対していってはいけないもの
なんだと学んでいるからです。
それに、言ったところで
「俺の方がしんどい」「稼ぎもしないくせに」
と返ってくると、知っているからです。
だから私は、
自分のしんどさに蓋をしてきました。
言ったところで改善するわけでもないし、
口に出すと傷つくだけだとわかっているから。
言葉にならない痛みを、
ただ一人で抱えてイライラしてきました。
それが漏れ出し、
「不機嫌を振りまくな」
と言われた事数知れず・・・
でも、これをやっているうちに、
自分が何を感じているかさえ分からなくなる時が
出てきたのです。
これが一番、心を蝕みます。
見た目の立派さと、中身の孤独
今日、夫は大学で登壇したそうです。
「拍手がもらえた」「受けてた」
と嬉しそうにしていました。
社会的に評価されることは素晴らしい。
そう思います。
でも、
私の中にはどこか冷めた感覚がありました。
「中身を知っていると、全然喜べない」
という複雑な感情。
家では人の話を聞かず、
自分の”がんばってる”をアピールして
「理解しろ」を強要してくるだけ。
そんな姿を知っている私は、
夫の“外の顔”にリアリティを感じられないのです。
外で立派でも、
家庭の中で誠実でなければ、
人としてどうなんだろう
そんな問いが心に浮かびました。
自分を曲げずに生きることのしんどさ
夫に合わせて、
自分の気持ちを整えなければならない。
感情を我慢しなければ、空気が悪くなる。
それが、いつしか
私の「生き方」になっていたのかもしれません。
でも、それって本当に
「生きてる」と言えるのかな
無理に付き合って、黙って、譲って…。
それは“協調”なんかじゃなく、
自己否定でした。
本当に欲しかったのは、
「あなたもしんどいんだね」と言ってくれる誰か。
“比べないで、ただ共感してくれる存在”
だったんだと思います。

学び:他人を変えることはできない。だから私は、自分の心を整える
夫が変わることを期待していた時期もありました。
でも、
何年経っても変わらなかった。
じゃあ、どうするか。
私が変わる。というよりも、
「私が私を無視しない」ことを始めよう
と決めました。
誰かに理解されなくても、
自分で自分の感情に気づいて
寄り添ってあげる。
それが、
心をすり減らさずに生きる一歩なんだと思います。
今、夫も心が弱っているそうです。
私が何か言えば、また
「お前のせい」と言われるだけ。
そうなることが目に見えているから、
何も言いません。
でも私の心も、ずっとずっと弱っていた。
その事実だけは
自分で見過ごさないようにすべきだと思います。
自分だけは自分を愛してあげないと。
自分が自分を愛せなくなったら、
それはとても悲しい事だと思うんです。
どれだけ他人に裏切られたり、失望しても
絶対裏切らない存在、それが自分。
自分が自分を楽しく出来るように
そんな風に考えて過ごすと、どんな環境にいても
ちょっと優しくなれる気がします。
それはもちろん
自己中心的な生き方をするという意味ではなくて、
「こうありたい自分」を自分に実現させてあげる
それが自分の幸せにつながると私は信じています。
違う世界に生きていても、『尊重』だけは失わないように
夫婦であっても、
まったく違う世界を生きている。
その現実を嘆くよりも、
「じゃあ私はどう在りたいか」を
考え続けること。
私にできるのは、
相手を変えることではなく
自分の中の“尊重”を育て続けること。
それが、
子どもに見せられる生き方になると信じて。
たとえ
私の気持ちが夫に届かなくても、
自分の中では大切にしたい。
「あなたもしんどいね。でも、私もしんどいんだよ」
そうやって、
まずは自分の心にそっと声をかけることから、
今日も始めようと思います。
お読みいただき、ありがとうございました!
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