最近、ふと
「あれはもしや夫源病だったのかも」
と思うことが増えました。
夫の対応に少しずつ向き合えるようになってきた今、
今回はその体験を整理し
文章にしてみようと思います。
きっかけの一つは、
ドイツ生まれの医師フレデリック・パールズ
(Fritz Perls, 1893–1970)が提唱した言葉
「ゲシュタルトの祈り(Gestalt Prayer)」
に出会ったことです。
この書に触れて以来、
私は自分の価値観をアップデートしました。
「自分の人生を生きること」と同時に、
「他者の人生を侵害しないこと」――
彼には彼の人生があり、私には私の人生がある。
夫として彼の存在はそこにあるけれど、
無理にすべてを受け止めたり
付き合ったりする必要はない。
こうした考え方を手にしてから
日々の些細な出来事や夫の行動を
少し俯瞰して見られるようになったのです。
「ゲシュタルトの祈り(Gestalt Prayer)」 については後日記事にしてまとめたいと思います
駅まで送迎
毎朝、私は夫を駅まで送っています。
「行くぞ」と言われたらすぐに準備を整え
出発しなければなりません。
1分でも遅れれば
「お前のせいで遅れた」と責められるのは分かっているので
今日もできる限り早く出発しました。
ところが、
朝の道は予想以上に混雑していました。
・・・嫌な予感。
工事車両やバス、自転車があちこちにあり
注意を要する状況です。
そのとき、夫の舌打ちが始まりました。
車の前を横断する人に向けて
「さっさと渡れよ」と言う声は、
もちろん外の人には聞こえません。
でもその声は私に浴びせられるように届き
心臓が一瞬跳ね上がる思いでした。
バスが私の前に二台連なって止まっているとき
信号で一時停止しました。
すかさず夫が「バスの前見たか」と、
私に問いかけます。
察するに、二台抜けと言いたいのでしょう。
しかし、前方にはバイクもあり、
さらに二台目のバスの前は信号で止まっています。
無理に抜くことはできません。
「抜かせない。前もバイクがいる」と伝えると、
夫はため息と共に
「あーもういいや!日本語通じてない」と言いました。
まさか、すべて私のせいにされるとは。
思いもよりませんでした。
駅までの道中に、
夫の要求通りにバスを二台抜きました。
しかしその後も、
助手席から体をのけぞらせてまで
追い越す自転車や、
工事車両を睨みつける様子を見せられ
心の中で「恥ずかしい」と
感じざるを得ませんでした。
人前で見せる態度としても、
家庭内で共有されるべきマナーとしても
非常に低レベルだと感じました。
夫の態度と私の心のざわつき
さらに駅近くの
二股に分かれた道路に差し掛かりました。
私は左折する必要があり、
左側のミラーを確認する必要があります。
しかし助手席にいる夫はなんと
かがんで靴紐を直し始めました。
信号が青に変わり、私は
「前が見えない」と声に出しました。
夫は「バックミラーで確認すればいいだろ」
と返します。
私は「左折するのにミラーを見ないで曲がるなんて怖すぎます」
と反論しました。
すると夫は、
左折ではない、目視できる、など…
矛盾することを次々と指摘した後、唐突に
「はいはい、大変申し訳ございませんでした。
本当にすみません、お詫び申し上げます」
と謝り始めました・・・
私は思わず
「いや、謝りすぎでしょ」と返しました。
すると夫は
「これくらい謝らないと
許してもらえないと思ったんで」と嫌味たらしく言い
さらに
「ねちねちずっと言われ続けるので」と続けます。
私の頭は唖然とするしかありませんでした。
…まあ、いつもの事なのですが(笑)
目の前で展開される不条理なやり取りに
心臓は高鳴り、怒りと情けなさ
恐怖が混ざった複雑な感情が渦巻きました。
私が守りたい感情とは何か
このやり取りの中、私は考えました。
私が守りたいのは、平静な心です。
夫の低レベルな言動に巻き込まれて
イライラしたり心がざわついたりすることをやめたい。
情けないと感じ、恥ずかしいと思う心もありますが
何より大事なのは、
自分の心の平穏を失わないことです。
夫の行動に対して
「どうしてこうなの」と感情的に反応してしまえば
私自身が不必要に疲れてしまうだけです。
私は、自分が人として尊重されるべき存在であり、
自分の感情も大切にする権利があることを再確認しました。
自分の反応と学び
振り返ってみると、私の対応は冷静でした。
昔の私なら、ただただ腹立たしく、
どこにもやり様の無い感情に支配されていましたが
最近は
自分の”尊厳を大切にする”と誓ってから
感情に流されずに、
「今自分はどう思っているか」
を内側で確認する事が出来ました。
心の中で「こう感じた」と認めることで
外からの不条理な言葉に対しても
自己否定に陥らずに済みます。
この経験から学んだのは、
相手の行動の心理を理解しても
期待しすぎないことです。
夫がどう感じ、どう行動するかは
私のコントロール外です。
だからこそ
自分の境界線を明確にし
心の平静を守ることに意識を集中する必要があります。
また、
謝罪の繰り返しや嫌味に対しても
感情的に反応せず
「心の中で受け流す」技術を
少しずつ身につけることができます。
外側で巻き込まれることなく
内側で自分の尊厳を守る練習です。
私は日々強くなれている気がしています。

人としての尊厳を守る実践
具体的にどうしているか。
我流ですが、ここに記しておこうと思います。
- 呼吸を整える
興奮しそうになったら、深呼吸で体の緊張をほぐす。
「私は安全だ」と心の中で繰り返す。 - 内的独白で自分を確認する
「私はこう感じている」「これは私の感情であり正しい」と認める。
外側の状況を変えようとせず、心の中で自分を守る。 - 境界線を意識する
相手の理不尽な指示や言葉に巻き込まれない。
必要以上に謝ったり説明したりしない。 - 外側の行動とは切り離す
相手の低レベルな行動は相手の問題。
自分は冷静に運転や判断を優先する。
これらを意識するだけで、
毎日の小さな衝突から受けるストレスや
モラハラを最小化できます。
練習を重ねることで
心の平静を保つことが少しずつ習慣になっていきます。
まとめと気づき
今回の経験を振り返ると、
私は次のことに気づきました。
- 日常の些細な出来事でも、理不尽な対応に巻き込まれると心がざわつく。
- そのざわつきを最小化するには、自分の感情を内側で認め、外側に振り回されないこと。
- 相手の低レベルな行動に期待せず、自分の境界線を守ることが、自分の尊厳を守ることにつながる。
- 人としての尊厳は、母としての役割とは切り離して考えるべき。自分の人生を満足させるために、自分がまず守るべきもの。
私は今回、夫の理不尽な振る舞いに
巻き込まれそうになりましたが
心の中で自分を確認し、
冷静さを保つことができました。
情けなさや恥ずかしさを感じつつも
心の平穏を守れたことに
自分自身で少し安心しています。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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