挨拶しない次男と試し行動の日々──“わかってほしい”の裏側にある本当の気持ち

子どもを育てていると、
「なんでこんなことをするんだろう?」

と首をかしげたくなる行動に
出会うことがよくあります。

私にとって、それは次男からの母への
試し行動」でした。

例えば、
登校班で一緒に歩いたときのこと。

私は地域の見守り隊をしてくださっている
おじい様おばあ様に「おはようございます」と
笑顔で挨拶をしました。

でも、次男は黙ったまま。

だから、
「挨拶しようね」と声をかけると
次男は
「挨拶する意味がわからない」と言い出したのです。

そこからさらに…

「そんなの意味ない」
「相手のことなんてどうでもいい」と
彼なりの理屈をぶつぶつ語り始めました。

私はつい
「挨拶はすべてにつながっていくんだよ」
と言ってしまったのですが、

その瞬間、
ママはほんと最悪だよな」と
冷たく言い放たれ、

心にグサッと刺さりました。

その言葉を受けたとき
私の中で何かがしぼんでしまった感覚がありました。

正直、それ以上
なにも言う気になれなくて
私は黙り込んでしまったのです。

「試し行動」という壁にぶつかる

次男はとにかく
母を試す」ことをよくします。
父にはしません。

例えば宿題のドリル。

見えないところでやっておいて、
私が気づかずにいると

「ほら、やっぱりママは何も見てない」
と言わんばかりの態度をとってきます。

あえて私の言葉を待っているのか
私の反応を確かめたいのか…

まるで

どこまで自分を見てくれるのか
を試しているように感じます。

でもそれは
本当に毎日のようにあって、
私は正直、疲れてしまうのです。

「どうしてそんなことをするの?」
「私だって忙しいのに、
いちいち試されている気分になるのはつらい」

そう思う一方で

この子は私にわかって欲しいんだ
と感じる瞬間もあります。

夫に対してはそんな態度は見せないのに、
私にだけは「試すような行動」を繰り返す…

そこにはきっと、
私に甘えているからこそ出せる
本音や弱さが隠れているのだろう

と頭では理解しています。

でも、

理解しているのと
受け止められるのとでは話が別です。

共感と否定のはざまで揺れる

次男が「挨拶する意味がない」
と言ったとき

私は心の底から否定したくなりました。

挨拶は人と人との心のやりとりの基本であり
大切なものだと信じているからです。

でも、

そこで強く言えば言うほど
彼は反発し、
「ママはわかってない」という態度をとった。

共感してあげたい気持ちと、
親として守りたい価値観のあいだで
私はいつも揺れています。

「そうだね、
意味がないように思えるときもあるよね」
と受け止めたい。

けれど、
そのまま流してしまったら
「挨拶しなくていいんだ」と
誤解されるのではないかと不安になる。

つまり私は

共感しすぎて甘やかしてしまうのではないか
という怖さと
間違った概念はきちんと正したい」という思いの間で
葛藤しているんだと気付いたのです。

「愛情が足りないの?」という不安

次男の試し行動が続くと
どうしても

「私の愛情が足りていないのだろうか」
と不安になります。

「もっと抱きしめてあげるべき?」
「もっと一緒に過ごす時間を増やすべき?」
「私が厳しくしすぎたから?」

そんなふうに
自分を責めそうになるのですが

冷静に考えると、次男はきっと
「足りない」のではなく

確かめたい」だけなのだと思います。

愛情を試すような行動は
愛されている」という実感をもっと深めたいサインなのかもしれません。

受け止め方の工夫

では、どうすれば
次男の心が満たされるのでしょうか。

私なりに少しずつ対応を工夫してみました。

  1. まず共感すること
    「意味がないと思うんだね」
    「そう感じるんだね」と一度受け止める。
    すぐに正論で返すのではなく、彼の言葉を「理解しよう」とする姿勢を見せる
  2. 短い言葉で返すこと
    長い説教は逆効果。
    「そっか、そういう考え方もあるね」と
    短く伝える方が、彼は落ち着きやすい。
  3. 肯定できる部分を探すこと
     「自分の考えを言えたのはいいね」といった肯定を小さく積み重ねる。
  4. 正論はあとから少しだけ
    落ち着いたタイミングで
    「でも挨拶をしておくと、あとで自分も気持ちがいいこともあるんだよ」と軽く伝える程度にとどめる。

親の葛藤を抱えながら

とはいえ、頭では理解しているものの
私は完璧にできるわけではありません。

正直、毎日試されているようで
しんどいです。

何度も「もうやめて!」と
心の中で叫んでいます。

夫にもしないのに、なぜ私だけに?
そう思うと虚しくなったりもします。

でも、

きっと彼にとって「ママ」という存在は
それだけ安心して
ぶつかれる相手なのだと思います。

本音を出しても、
嫌われないと信じている。

だからこそ、

わざと揺さぶりをかけてくる・・・。

そう考えると、

彼の「試し行動」も
また一つの愛情表現なのかもしれません。

私のことを信じているからこそ、
ぶつけてくるのです。

少しずつ気づいていること

次男と向き合う日々の中で
私は「親として子どもにどう接するか」
というテーマ以上に

「私自身の心の余裕」が大事なんだ
と気づき始めています。

余裕があるときは共感もできるし
試し行動を愛情のサインとして受け取れる。

けれど、余裕がないときは

「なんでそんなことするの!」と
否定的になってしまう。

だから、最近は
次男の対応云々の前に

自分自身のケアを大切にしよう
と思っています。

私達、現代の母は
疲れているんだと思います。

少し一人の時間を持ったり
信頼できる人に愚痴を聞いてもらったり。

そうやって
私自身の心を回復させながら、
次男の「試し」に向き合っていこうと思います。

おわりに

次男とのやりとりは
私にとって決して簡単ではありません。

「挨拶なんて意味ない」と言い放たれ
「ママは最悪」と突きつけられる。

その言葉はやっぱり刺さりますし、
私を迷わせます。

正直、毎日のように試されるのは、
やっぱりしんどいです。

逃げ出したくなる夜もあるし、
心が折れそうになる日もあります。

でも、

そんなやりとりの中に
「ママにわかって欲しい」という
次男の願いが隠れていることも感じます。

だから私は、

これからも悩みながら、
失敗しながら、
それでも彼と向き合っていきたい。

だって、

子育ては気付けばいつの間にか
終わってしまうものだから。

試し行動は、親にとって
試練のようなもの。

次男からの
愛されていることを確かめたい」という
真っ直ぐな叫びに向き合ってあげたい。

その為にも、まずは

私自身の心の余裕

これをテーマに
ゆったりとした気持ちで
毎日を過ごせることは

自分だけじゃなく、
周りのみんなにも幸せを分け合える事に繋がる

そんな風に感じる今日この頃でした。

お読みいただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です