サングラスをかけたまま挨拶――
これって失礼なんだろうか?
夫からは
「愛想よくすべき、サングラスは外すべき」と言われたけれど、
私は「嫌な人に、そこまでしないといけないの?」
というモヤモヤを抱えたまま、しばらく考え込んでしまった。
私は決して無礼になろうとしているわけじゃない。
ただ、
自分の心を守る距離感を大切にしているだけ
この“違和感”の正体に気づいたとき
少し心が軽くなったので、
詳しくまとめておこうと思います。
Contents
挨拶の場面での違和感
ある日、近所を歩いていたときに、
苦手なおばさんとばったり。
一応、顔を見て「こんにちは」と挨拶はした。
でも、私はサングラスをかけたままだった。
ふと、
「これって失礼に見えたかな?」
と気になってしまった。
(ちなみにおばさんは挨拶を返してはくれなかった)
でも、そのおばさんはウチのことを
近所で色々言いふらしている人。
私の中では「顔を合わせるのもしんどい相手」なんです。
サングラスは「心のバリア」だった
そのとき、私がサングラスを外さなかったのは
「気を抜いていた」とか「無礼だった」からじゃない。
それよりも、自分を守るための
“心のバリア”だったことに、後から気づいた。
サングラスって、
外からの視線を少し遮るだけでなく
自分の感情を見透かされにくくする役割がある
と私は感じています。
つまり私にとっては、あの瞬間
最低限のマナーを守りながら、自分を守る手段
だったんです。
そして、これは決して
「人を見下している」わけではなくて、
「人として丁寧に線引きしている」ということ。
私は誰に対しても平等に振る舞えるタイプではないけれど、
それは冷たいわけでも、無礼なわけでもない。
でもこれは、私の主観。
マナーとか、礼儀とか、常識…
を問われると、そこはもう、
”サングラスは外して(顔を見せて)挨拶”
が正しいんだと思う。
「大人のマナー」と「心の防衛線」のバランス
「挨拶はするけど、それ以上は深入りしない」
それってすごくバランスが取れた、
大人の付き合い方だと私は思う。
私は無視しているわけでもないし、
悪口を言っているわけでもない。
ちゃんと社会的なマナーの範囲で接している。
むしろ、
自分の気持ちを押し殺してまで
愛想よく振る舞うことの方が、
どこか不誠実に感じてしまうのは、私だけでしょうか?
本当は距離を置きたい相手に
「にこやかに接する」ことを求められるたびに、
自分がすり減っていく気がするんです。

好意と苦手の違いを認める
私は、好意を持っている人には
誠実に向き合いたい。
その人が好きだからこそ、
笑顔で、ちゃんと目を見て話したいし、
サングラスを外して失礼のないようにしたいと思う。
でも逆に、
心が疲れてしまう相手、避けたくなる相手にまで、
同じように振る舞う必要はないと思っている。
それは“差別”ではなく、“区別”。
「この人とは距離を置いた方が、自分にとって健全だ」
と思う気持ちは、
自分を守る上で大切な判断基準。
たとえそれが一時的なものであっても、
自分の直感や感情を大事にすることを、
私は否定したくないんです。
夫との感覚のズレ
夫にこの話をすると、案の定というべきか、
「愛想よくしろ」と言われました。
「好意を持て」とまで言われて、
正直、心が冷えました。
私が「苦手」と伝えている相手に対して、
「それは間違った感覚だ」
と言われると、
まるで自分の感情を否定されたような気持ちになるんです。
もちろん、夫に悪気はない。
でも「俺の方が正しい」という前提で話されると、
私の気持ちや努力が見えていないようで、
とても虚しくなります。
たとえ夫婦でも、
苦手な人との距離感の取り方や付き合い方に正解はないし、
感覚のズレがあるのは自然なこと。
他人とどう向き合うかは、自分で選んでいい
今回の出来事から学んだのは、
「誰と、どんな距離感で付き合うかは、自分で選んでいい」
ということ。
みんなに好かれようとしなくていい。
みんなに愛想よくしなくてもいい。
心を守る手段として、
サングラスでもいいし、
言葉を控えるのもあり。
礼儀を守った上で“近づきすぎない選択”も、大人の知恵
なんだ、と気付きました。
私は“無視”はしていない。
“敵意”も出していない。
ただ、自分に正直に、穏やかに、
でもしっかりと線を引いているだけ。
それ自体に「正解・不正解」はないと思うのですが…
いかがでしょうか。
サングラスを外したくない理由をもう少し掘り下げてみた
サングラスをかけたまま挨拶することに、
特に日本人はどこか
「申し訳なさ」や「誤解されるかも」
という葛藤があるのかもしれません。
でも、
サングラスは物理的に目を覆うだけじゃない。
目を合わせた瞬間に感じるプレッシャーや、
心の奥まで見透かされるような感覚から
自分を守ってくれる存在
もし私がサングラスを外していたら、
その人の顔をしっかり見なきゃいけないし、
相手の空気を読みながら反応しなきゃいけない。
その「空気」を読み続けることが、
今の私にとっては、とても負担。
だから私は、
「この距離なら笑顔でいられる」という“安全なライン”を
サングラスというアイテムで引いている。
それは「悪意」ではなく「自衛」
私の中では、礼儀は守っているし、
それ以上の深入りはしない。
ここまで根暗に考えて結論を自分なりに出したおかげで
その判断を、自信を持って「してもいい」
と思うようになりました。
これが私。
うん、これでいいじゃないかと。
まとめ
- サングラスは「無礼」じゃなくて「心を守るバリア」と考えた
- 苦手な人にまで好意を持つ必要はない
- 挨拶という最低限のマナーができていれば、それで十分だと思う
- 好意を持つ相手には自然と丁寧に接する
- 他人との距離感は、自分の心の健康を優先して選んでいい
- 自分の感情を否定せず、丁寧に扱う
どんなに社会的に「こうあるべき」とされても、
心の痛みやしんどさは自分にしか分からない。
だからこそ、他人との距離感は
「心を守るため」に自分で調整していい
と私は思います。
今日も無理せず、
自分の心の声を素直に聞いて生きていけたら幸せですね。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
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