眠りというものは、
ただの生理現象ではなく
その人の心の中を
静かに映し出す鏡のような
存在なのかもしれません。
夫が「寝られない」と
音楽を朝まで流すようになったのは
ほんの最近のことではありません。
思い返せば、夫は昔から
寝つきがいいほうではなかったな・・・と
改めて気づきました。
でもここ最近、
その傾向は
少し“ひどい”レベルに
なっているように見えます。
そしてその影響は
私の睡眠にも
確実に及んできました。──
今回は、
眠れない夫と向き合う中で
私自身が気づいたことを
書いてみようと思います。
夫婦の寝室の個別化➔同一化
子どもたちが自分の部屋で
個々に寝るようになってからは
私は一人で別の部屋で寝ていました。
そのほうが正直
体は休まるし、
夫も自分のペースで
眠ることができるし。
お互いにとって
自然な距離なのだと
思っていたからです。
ところが夫は、最近になって
「一緒に寝てほしい」
と言い出しました。
不安なのか、
寂しいのか、
人肌恋しいのか。
そのあたりは
本人も明確には言いませんでしたが、
とにかく
「一緒のほうが安心する」と。
私は家族として
その気持ちを
無視したくはありませんでした。
だから
永い間夫一人で使っていた
クイーンサイズのベッドに戻り
再び夫と肩を並べて眠る生活を
再開しました。
ところが──
クイーンサイズと言っても
広々快適、
とはいかないものです。
私は寝返り一つ
遠慮してしまい、
「起こしてしまうかも」
と無意識に気遣いながら
眠るようになりました。
結果として、私は
浅い眠りのまま朝を迎え、
夫は夫で
眠れないという。
そのうえで
「寝られないから音楽を流す」
というループが始まり、
それが毎晩続くようになると、
正直、私の気持ちは
じわじわと疲れていきました。
そもそも「本当に不眠なのか?」という疑い
夫の「寝られない」には
確かに理由があります。
静寂が不安になる。
考えごとが止まらない。
過去に静かな音楽を流したら
すっと眠れたことがある。
全部わかる。
でも、
私を困らせるのは
寝る前の“前段階”です。
寝る前のスマホ
例えば
寝る直前にスマホゲームをする。
私はそれを
どうしても理解できない。
画面の光は強いし、
ゲームは刺激が強い。
脳が覚醒して寝れなくなるのは
当然なのに、そのあとで
「寝られない」と言われても。
「いやいやいや・・・」
と心の中では
正直ツッコミを入れてしまいます。
でもそれを簡単に
言葉にすることはできません。
なぜなら夫は、
少しでも注意されると
「責められた」と
強く感じてしまうからです。
私は事実を言いたいだけなのに、
それが“非難”として
受け取られてしまう。
この“すれ違い”が
私にとって一番しんどいところでした。
ある夜、
私は
意を決してできるだけ柔らかく
こんなふうに伝えたことがあります。
「寝る前のスマホって
脳が冴えちゃうみたいだよ。
もしかしたら、それも
寝れない原因じゃないかな?」
すると夫は、間髪入れずに
「うるさいな。寝る前の息抜きだろ
寝れないからやってるんだよ!」
と、
むしろ
自分の苦しさを理解しろ
と言わんばかりの一言。
そのひと言で
あーこりゃだめだ。と感じた私は
それ以上話すのをやめ、
早々に眠る事にしました。
音楽流しっぱなし問題
ゲームの件もあるのに、
そのうえ音楽まで
朝まで流しっぱなし。
音量は本当に小さくしてくれているのですが、
音は音。
私は昔から
寝る事に関しては全力投球したい派なので
一生懸命、寝る努力をします。
なので、正直、
自分が眠りに入る事に関しては
問題なく寝られるのですが、
寝ている間も、脳は音という
”不要な情報”を処理し続けて
眠れていないだろうと気になって…。
そして、眠りが浅くなる。
そう思うと、
せっかく寝られる時間があるのに
もったいなく感じてしまうんです。
それでも私は
「音が不快」
と言えない。
なぜなら、言ったら、また
「責められた」
「俺の苦しさを解ろうともしない」
そんな風に思われるから。
私は、この状況は
どちらかが悪いというより
夫婦のコミュニケーションの癖が
長年積み重なってできたものだと
理解と反省しているのですが、
夫はこの状況を把握しようともしない。
つまり、
改善を期待できない。
・・・ということは
「自分が一番正しい」と考えているパートナーと
どう過ごすか?という
自分自身の問題に落とし込む必要がある
という事です。
一緒に寝ることの意味を考える
本音を言えば、
私は別室で寝たい。
そのほうが自分はぐっすり眠れるし、
体も軽い。
朝の気分も違う。
でも、
私にとっての優先順位は
夫でありたい。
人として、家族として
妻として一緒に暮らす限りは
困っている家族を知らんぷりするようなことは
したくない。
一緒に暮らしている以上、
相手の不安が強い夜には
少し寄り添うべきだと
思ってしまうのです。
そう。これは私のエゴ。
だから、
「別で寝たい自分」と
「助けたい自分」の間で
揺れ続けることになります。

学び・気づき
ここのところ、
夫の“不眠”に寄り添いながら
私が気づいたことがあります。
それは
「人の眠りは、その人の心の癖を映す」
ということです。
夫の“寝られない”には
- 仕事の責任やプレッシャー
- 考えごとが止まらない性格
- 孤独感
- 人肌のぬくもりを求める気持ち──
いろんな要素が絡み合っていて、
本人にもコントロールできない部分が
あるのだと思います。
だからと言って、
私の眠りや生活が
軽く扱われていいわけでもない。
どちらの睡眠も
どちらの人生も
両方大切なこと。
その“バランス”を
どう整えていくかが、
これからの課題なのだと思っています。
そして私は、自分の気持ちを
もっと大切にすることも
必要だと感じています。
「助けたい」と
「しんどい」を
同時に抱えていていい。
その両方を持ちながら
これからの落としどころを
探していけばいい。
そんなふうに
少しずつ考えられるように
なってきました。
まとめ
夫が毎晩
音楽を流して眠る理由は、
単なる不眠以上の
心の複雑さがありました。
でもその裏で
私自身も
眠りを削り、気を遣い、
我慢し続けていたことに
改めて気づきました。
“一緒に寝る”という
たったそれだけのことが
これほどまでに
心の距離や生活の質を左右する。
だからこそ、これからは
夫の不安にも寄り添いながら、
私の睡眠を守る工夫も
少しずつしていこうと思います。
助けたい気持ちと、
自分を大事にしたい気持ち。
その両方を抱えながら
妻として成長していく。
この課題に挑むのも
悪くないのかもしれないと考えています。
今回も読んでいただき、
ありがとうございました。












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