思春期の子どもに“自分で決める力”を育てるために、私がまず手放したもの

最近、息子のことで
ずっと胸の奥に
引っかかっていることがありました。

それは

“自分で考えて選ぶ”という姿勢
が見えないまま

毎日をただ流されるように
過ごしていることです。

提出物を忘れても、
テスト範囲が分かっていなくても

「困ってないから大丈夫」と
どこか他人事のように
振る舞ってしまう。

自分の行動の結果を
なかったことにしようとする

あの独特の“逃げ方”も
気になっていました。

その姿を見ていると、
いつかこの子が
社会の中でつまずく瞬間が
目に浮かんでしまうことがあったんです。

それは恐怖というより

「このままでは、この子が
人生の節目で必要な力を失ってしまう」

そんな強い危機感でした。

そこで私は、
息子の“今の課題”と向き合うために、
一つの仕掛けをしてみることにしました。

今回は、
そんな長男を見ていて感じたことを
母目線でまとめてみようと思います。

選択をする機会

私は、まず手始めに一つ

“本人が選ぶべきそこそこ大きなテーマ”
を用意しようと思いました。

それが
塾を続けるのか、やめるのか
という選択でした。

塾そのものが本題ではありません。

これは息子にとって
“初めて責任を伴う選択をする機会”
だと思ったのです。

長男は大学付属の私立中学1年生

ではなぜ “塾” をテーマにしたのか。
その背景には、
息子の中学受験の経験があります。

悔しさを抱えたまま始まった中学生活

長男は中学受験をして、
現在、大学付属の
私立中学に通っています。

ただ、その裏には
小さくない悔しさがありました。

本人が心から行きたかった
第一志望には届かず

しばらくは気持ちが追いつかない日も
続いていたように感じます。

そんなある日、
息子は言いました。

「高校でリベンジする。
だから塾に行きたい。」

幼さが残る表情の奥で、
確かに光るものがありました。

私はそのまっすぐな意思を
どうにか支えたいと思い、

迷わず塾に通わせることにしました。

ところが数ヶ月後

入塾から数ヶ月。
息子の様子に変化が出始めました。

塾の予定を把握していない。
宿題の提出ができていない。
忘れ物も増え、
テストの準備すらできていない。

“意気込み”の行方が
見えなくなって来ました。

かつての
「リベンジしたい」という熱は
すっかり影を潜めて

惰性だけが残っているように見えました。

テスト範囲が分からないままでも焦らない。
提出物が遅れても困らない。
塾の宿題も「まあいいか」で流してしまう。

そして何より、

  • 現実を直視しようとしない。
  • 自分の責任をなかったことにしようとする。

その姿に、
私はどうしようもなく
強い危機感を抱きました。

息子は、今

「意思を持って選んだ環境」ではなく、
“与えられた環境にただ在籍しているだけ”

の状態になっている。

“このまま親が口を出し、
スケジュールを管理し、
責任を肩代わりし続けたら・・・
この子はいつ現実に向き合えるようになるんだろう。”

そう思った瞬間、
私はふっと力を抜きたくなったんです。

もうこのあたりで、
一度ちゃんと本人に返そう。

そう決めて、
息子自身に決めさせることにしました。

私が感じていた一番の不安

“自分の人生を自分で扱えない大人”になってしまうこと

長男は第一子だったこともあり、
私は手をかけすぎた部分がある――
そんな反省もあります。

次男は放っておいても
自分で考えて行動できるタイプですが、

長男はどうしても
“指示待ちのまま動く”
という癖が残っていました。

  • 寒くないの?と言われないと鳥肌のまま薄着
  • ドレッシング、かけたら?と言われないと、そのままサラダを食べ始める
  • 髪切らなくていいの?と声をかけるまで髪も切らない・・・

そんな息子が、
現実を直視せず
自分の責任をなかったことにしようとする姿。

そこに私は、
将来の姿を重ねてしまったのです。

”上”に言われたことだけを淡々とこなし、
自分の考えを持たないまま
流されて生活をしている大人。

そんな人生を
息子に歩ませたいとは思えませんでした。

私は、

一人で生活出来るようになるために
子育てをしてるんじゃない。

一人で幸せに生きていくために
子育てをしてきたんです。

だからこそ、

本人の意思がないまま環境だけが存在する状況を
終わらせる必要がある

と感じたんです。

“塾を続けるかどうか”を息子自身に選ばせる

塾の話はあくまで入口。

本当に伝えたかったのは、
「選んだ結果は自分の責任」
と認識してほしい
ということでした。

選ぶという行為には、
必ず結果が伴います。

うまくいく日ばかりじゃない。
思った通りにならないこともある。

でも

その選択を自分で引き受けることでしか
“自分の人生を生きる力”は育たない。

そして私は身をもって
気づきました。

親が過度に手や口を出してしまうと、
子どもは選ぶ力を育てるチャンスを奪われてしまう

ということに。

息子の行動が気になりすぎて、
私はつい先回りし、
助けすぎていたのかもしれない。

だから今回、
私は一歩引いて、あえて
息子自身に決断させることを選びました。

どんな選択をしてもいい。
それがたとえ最良ではなくてもいい。

大切なのは
自分で選び、自分で責任を持つ経験
そのものだから。

手放す勇気と、見守る覚悟

今回、息子と向き合う中で
私が学んだのは、

子どもに
自分で決める力”を育てたいなら

親が先に“手放す勇気”を
持たなければいけない

という現実でした。

親が全部整えた環境に
ただ乗せ続けるだけでは、

子どもの人生を
子ども自身が生きていることにはならない。

選択の痛みも、
後悔の重さも、
自分で抱えてこそ育つもの。

だから私は、これからは

まずは自分でどうしたい?」と
息子に問い続けていこうと思います。

どんな小さなことでもいい。
自分で決めて、自分で選び、
その結果を自分で引き受ける。

その積み重ねをして感じた経験こそが
息子がこれから生きていく世界で
支えになってくれる宝物になると思うんです。

そしてもうひとつ、
今の私には越えなければいけない壁があります。

それは――

夫がこの考えに
“同意してくれるとは限らない”ということ。

母親として日々を見ているぶん、
私の中では今回の判断に
迷いはほとんどありません。

でも、

塾に通わせる・通わせないという話は
夫の意見なしには
決められない現実もあります。

正直、夫は
「本人が嫌ならやめればいい」
とシンプルに言うかもしれないし、

反対に
「高校受験すると
自分で決めたんだから続けるべきだ」
と、

息子の“意志の継続”を
重視するかもしれない。

もしくは、

「高校受験を見据えて中1から進学塾に通っているのは大きなアドバンテージだから辞めるなんてありえない」

と、他者との闘いの“戦略”の視点で
言ってくる可能性もある・・・。

でも、今回はそこではないんです。

大切なのは、
“息子が何を選ぶのか”ではなく、

その選択の結果を
自分の人生として受け止められるかどうか。

でも、

夫の中にある価値観の幅を考えると、
今回の判断は
きっと簡単にはまとまらない。

それでも私は

今回だけは“譲れない想い”があるんです。

息子がこれから歩いていく人生は、
親が敷いた道の上を歩くだけでは
続いていかない。

どんな選択をしても、
そこには必ず
責任も痛みも付いてくる

そして

それを引き受ける力こそが、
この先の人生でいちばん必要になるものだと
私は思っています。

だから今回は、
夫と話し合いながらも

息子自身が選ぶ
という軸だけは守りたい。

たとえ時間がかかっても、
たとえ私の意見が
少数派だったとしても。

息子が自分の言葉で、
自分の意思で、
「続ける」「やめる」を選ぶこと。

それが、今このタイミングで
この子が受け取るべき経験なのだと
私は信じています。

さいごに

今回、私が手放したのは
正しさを押し付ける安心感”でした。

息子の人生を私が決めることより、
息子自身が選んで立ち上がる経験の方が
ずっと大事
だと気づいたからです。

怖さはまだ完全には消えていません。
むしろこれからが本番なのかもしれません。

それでも私は、
あの子がいつか
自分の人生を「自分で動かした」
胸を張れる日が来ることを信じています。

そしてその第一歩が、
今まさに目の前にある

“塾をどうするか”という
選択なんだと思っています。

人生の「舵を握る」のは自分自身。

親が先回りして整える
苦労の少ない未来ではなく

息子が自分で形づくっていく未来を
これからは見守っていけるように。

子離れも視野にいれつつ
わたし自身も
成長していきたいと思っています。

たった一度の選択でも
積み重なっていくからこそ、それが
いつか自分を支える力になる

そんな風に考えています。

今回も読んでいただき
ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です