夫の正論に傷つく私が気づいた、夫婦に必要な“伝え方”

今日は、夫の言葉に
「どうしてこんなに傷つくんだろう」
と感じた出来事について
書いてみようと思います。

確かに、”正しい”ことを
言っているんだけれど、
妙に心がざわつく…。

そんなやり取りの中での学びです。

夫の言葉にグサッときた瞬間

結婚生活をしていると、
お互いの小さな言葉が
思っている以上に
心に響いてしまうことがあります。

たとえば、キムチ。

賞味期限が近づいたキムチを
私が食卓に出したとき、
夫から返ってきた言葉は

「これ、傷んできてる」
「もう腐ってるんじゃない?」

そんな一言でした。

もちろん、実際に
味が変わってきていたのは事実でした。

でも、その言葉の選び方は
あまりにも強すぎて

まるで

「私が管理を怠った」
責められているように感じてしまったのです。

特に、

私が選んで買ったものではなく
人からいただいたり、

あるいは夫自身が買ってきたものの時に
そのように言われると…

凄く、嫌な気持ちになってしまう・・・。

処理を任された(というか、する事になった)私が

“悪者”
にされるような感覚になります。

「ミス」に対してのマウント?

昨日は、
駐車場での出来事がありました。

商業施設で買い物を終えて、
事前精算機で料金を払ってから
車に戻った私たち。

普段は駐車券がなくても
自動でバーが開く仕組みなのですが

その日はなぜか開かず

私は駐車券を無意識に
カバンに入れてしまったようで
探してもすぐに見つかりませんでした。

少し焦っている私に、
夫はすかさずこう言いました。

駐車券をすぐ出せる状態にしておくのは常識だろう」
「普通、しっかり出るまで持っておくもんだろ」
「お前のせいでゲートが開かなくてみんな迷惑してる」

その言葉を浴びせられるたび、
私はどんどん追い詰められていきました。

結局、ゲートでは
係員さんに遠隔で開けてもらい、
車が止まっていたのは
ほんの2分ほど。

お待ちいただいていた後ろの車には
申し訳なかったとおもいつつ…

大ごとになったわけではないのに、
夫はその後も私の“ミス”を
延々と正論で責め立ててきました。

「駐車券をちゃんと持っていれば
こんなことにならなかったのに」
「常識で考えたら当たり前だろう」

…確かに、
言っていることは正しい

でも、その

“正しさ”が私の心を冷やし

「どうしてこんなに人間味が薄いんだろう」
とさえ思わせてしまったのです。

正論は夫婦関係を救わない

夫の言葉は、
事実としては間違っていません。

賞味期限が迫っていて
キムチは発酵が進んでいたし、

駐車券を持っていなかったのは
私の不注意です。

けれども、

夫婦関係においては
「正しさ」よりも
「言い方」「受け取り方」が大切だ

と感じます。

正論を突きつけることで、
その場では
“勝った気持ち”になるのかもしれません。

でも、その代わりに

相手の心は傷つき、
距離が生まれてしまう。

家庭という場所は

正しさを競う場所ではなく、
安心感を育む場所であってほしい。

私はそう思っています。

それなのに、

「正論」という鎧をまとった言葉は
ときに最も鋭い刃となり

大切な関係を削り取ってしまうのだと
痛感しました。

伝え方ひとつで変わる空気

では、

どうすれば良かったのでしょうか。

キムチのときなら、

「もうちょっと酸っぱくなってきたね」
「発酵が進んでる感じだね」

そう言ってもらえたら、
私は責められた気持ちにはならなかったでしょう。

駐車場のときなら、

「大丈夫だよ、係員さんにすぐ開けてもらえるから」
「焦らなくていいよ」

そんな一言があれば、
むしろ惚れ直したかもしれません。

結局、言葉の内容そのものよりも

そこに

“思いやり”や“温度”があるかどうかで、
受け取り方は大きく変わるのです。


正しいことを言うよりも、
どう伝えるかの方が
夫婦関係にはずっと大事なんだ

そう強く実感しました。

まとめ:正しさよりも大切なもの

夫婦の会話の中で、
正論を言いたくなる瞬間は
きっと誰にでもあります。

でも、

相手を思いやる言葉を選ぶことで
その場の空気は柔らかくなり、
お互いの心は守られます

家庭の中で大切なのは

誰が正しいか」ではなく
「どうすれば気持ちよく過ごせるか」

正論を突きつける代わりに
相手を安心させる言葉を選べる人でありたい

私はそう感じています。

そして夫にも、
その大切さを少しずつ伝えていきたい。

そんなふうに思っています。

夫婦の時間って、結局のところ
自分の人生の大半を占めるものだと思います。

だからこそ

「正しい」「間違っている」で争っても
あまり意味がないのかもしれません。

正しさの勝ち負けではなく、

安心して心を置ける関係性を育てていけたら素敵だな、と改めて感じます。

同じ家で暮らしているからこそ
互いに余裕を持って
優しさを届け合える関係でありたいですね。

お読みいただきありがとうございました。

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