「私は悪くない」と思えた朝。夫の理不尽にモヤモヤしなかった理由

夏休みのある日。

夏期講習に行くことにネガティブになっていた
小4次男のサポートで
いつもの早い時間に洗面台を使えなかった私。

「あぁ……遅くなっちゃった。夫が洗面台使うから早くしなきゃ」
と思いつつ、

でも夫を駅まで送っていくためには
私もきちんと身支度をしなければならず…
急いで準備していました。

今回は、そんな慌ただしい朝に起きた出来事のことを
書こうと思います。

朝の洗面所で起きた小さな戦争

今朝、ほんの些細なことから
心の中で大きな波が立ちました。

きっかけは洗面台。

私が使っていたところに、夫がやってきたんです。

「俺は時間に制限がある。お前はないだろう」

要は、譲れ。っていう圧です。

そう言い放った夫の言葉に
胸の奥で何かがザワっとしました。

私は、自分が寝坊して遅くなったわけじゃない。
夏期講習への気持ちがナイーブになっている
子どものサポートをしていたために、
遅れながらも急いで準備していたのです。

なのに、まるで私が
「暇人」かのようなその言葉に
心を深く刺される思いがしました。

それでも私は黙って洗面台を譲り
鏡の前を離れました。

すると、
夫は私に聞こえるほどの大きなため息をつき
不満げな言葉が、ぽつりぽつりと聞こえてきました。

「え?私、今あなたに譲ったよね?」

その瞬間、込み上げた思いを抑えきれず
私はこう言ってしまいました。

「私、譲ったのに、まだ何か言うの?」

夫は言いました。

「ため息ついただけだ。お前に言ったわけじゃない」

それを聞いて、私はさらに困惑しました。

なぜ、自分の言動はすべて正当化され
私が同じような態度をとったら
それは責められることになるのか。

イライラとモヤモヤが、ため息になった

それでも私はその場では黙りました。

子どもを夏期講習に送り出す時間も迫っていたし
これ以上何か言っても
平行線になるのがわかっていたからです。

でも、その後少し離れた場所で支度を続けていたとき、
無意識のうちに私もため息が出たようです。

支度を続けながら
気持ちは少しずつ落ち着いていく…はずだったのに、

胸の奥に引っかかっていたものが
自然とため息として出てしまったのだと思います。

すると、夫が笑って言いました。

「お前だろ、俺に向けてため息ついたの」

内心、驚きました。

さっき自分は
「ため息は自分に向けたものだから問題ない」
と言っていたのに

私がため息をつくと
「それは俺に向けたものだ」と決めつける。

自分には寛容で、他人には厳しい。

このダブルスタンダードが、
何よりも私の心をざわつかせたのです。

そして、気づいたのです。
こういう些細な場面の積み重ねが
私を傷つけ、消耗させてきたのだと。

「自分はよくて私だけダメ」って、なんなんだろう

夫の言動からは、いつも
“自分が正しい”という前提が透けて見える気がします。

自分がどんな言葉を投げても許される
でも
私が少しでも反論したり、態度に出たりすると

「お前の言い方が悪い」「それは攻撃だ」
「お前が口を開くといつも喧嘩になる」と

一方的に決めつけられる。

でも、今日の私は
それに飲み込まれませんでした。

確かにモヤモヤは残っているし、悔しさもある。

でも、

「私は悪くない」

そう思えたのです。

私が洗面台を譲ったのは
自分の心の余裕からだった。

相手の事情をくみ取ろうとしたからでした。

私がその場を離れたのは
空気を荒らしたくなかったからでした。

それを、

「暇だからどけ」と見なされる筋合いなんてない。

いつだったか……

菅元首相が「あなたとは違うんです」と
発言して 話題になったことを思い出しました。

自分が一番大変だと思い込んでしまう典型的な思考パターン
なのかもしれませんね。

私も、

「私にも支度する時間が必要。
あなたの事情はわかるけど、一方的に決めつけないでほしい」

と、夫にスマートに言えたらよかったのに。

私自身も、まだまだ成長の途中なのだと思います。

「私が我慢すればいい」からの卒業

これまでは、
こういう場面で 自分の中に沸き起こった感情を抑え
我慢することが大人の対応だと思ってきました。

波風を立てないために
心の声にフタをして
ひとり耐えることを選んできたんです。

けれど、それは
「私が我慢すればいい」という
呪いのような思考だと気付いたんです。

その呪いから、ようやく
少しだけ自由になれている今の私は
確かに変わってきていると思います。

黙って譲っても
感情がゼロになるわけじゃない。

その感情を、自分で認めてあげることが
私にとってとても大切なことだったんです。

まとめ:“ちゃんと”より、“心地よく”を選んだ先にあるもの

以前の記事にも書いたように
私は「“ちゃんと”より、“心地よく”」を
選んで生きていきたいと思っているんです。

自分が正しいと思える行動をすると、
人は”心地いい”と感じられると信じているからです

今回の夫とのやり取りで気付いた事を
まとめると

  • 「私は悪くない」と静かに思えたのは、誰かに勝つためではなく、自分を守る境界線を引く行為
  • 我慢して丸く収めるよりも、自分の感情を認めて淡々と距離や順番を調整するほうが、結果的にみんなにとって良い影響となる。
  • 相手のロジックを正すことにエネルギーを使うより、「私はどう感じた?」と自分に問いかけるほうが、イライラから抜け出せる。
  • “心地よさ”は怠けではなく、丁寧に生きるための“余白”。

今までは「我慢する私」が正しいと思っていたけれど
これからは「自分の気持ちに気づける私」でいたい。

誰かの評価ではなく
私がどう感じたかを丁寧に扱っていきたい
と思っています。

理不尽やモヤモヤに出会う日は
きっとこれからもあります。

でもそのたびに、「私はどう感じた?」と
静かに自分に問い直せたら

無理せず、心地よく、私の輪郭を守りながら
生きていけるはずだと感じています。

誰かとぶつからずに、自分を守る。
我慢ではなく、淡々と立ち位置を取り戻す。

そんな生き方を、私はこれからも
少しずつ選び続けていきたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

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