最近、ふと思ったんです。
「この友達との時間って、
今の私にとって
本当に意味があるのかな?」
ランチや飲みに行く時間は
確かに楽しいし、
ちょっとした非日常を
味わえる瞬間でもあります。
笑い合ったり、
悩みを聞いてもらったりすると
心が軽くなることもある。
だけど、同時に
どこか心の奥に
小さな違和感が残る。
「この時間は
私の人生を前に進めているだろうか?」
そう自問自答すると、
胸のあたりがざわつくような感覚が
しばらく消えませんでした。
もしかすると私は
“友達との時間の価値”を
無意識に測るようになっていたのかもしれない。・・・
そんな気づきをテーマに
今回は書いてみたいと思います。
Contents
友達だから大切?
それとも…
時間の使い方を見直すべき?
友達と過ごす時間は
楽しい瞬間も多い。
でもそれが、
自分の成長や学びにつながるか?
と言われると、
少し答えに詰まってしまう自分がいます。
「7つの習慣」に出てくる
“緊急だけれど重要ではないこと”
この概念を思い出したとき、
はっとしたんです。
表面的には楽しいけれど、
長期的な成長にはつながっていない時間。
もしかしたら私は
そこに多くのエネルギーを
使ってしまっているのかもしれない。
さらに
愚痴の聞き役になることが多かったり、
誰かの不満を淡々と吸い込み続けたり、
話していても何も変わらない会話が続くと、
「この時間って
私にとってどんな意味があるんだろう」
そう感じてしまうこともあります。
もちろん、
友達を軽視したいわけじゃない。
でも同時に
“自分の残りの人生をどう設計するか”
このテーマも無視できなくなってきた。
友情を大切にしながら、
自分軸を守る方法って何だろう?
そんな問いが、
ずっと私の中にありました。
私が実際に変えてみた5つのこと
ここからは、
私が実際に“友達付き合い”を見直すなかで
試行錯誤してきたことを
具体的に書いていきます。
1、時間の価値を意識するようになった
誘われたら予定を合わせる。
友達の愚痴にはとことん付き合う。
昔の私は、
どちらかというとそんなタイプでした。
でも今は
予定を決める前に
そっと自分に問いかけるようにしています。
「この時間は
私にどんな価値をもたらす?」
価値と言っても、
偉そうな意味ではなくて、
・心が軽くなる?
・楽しい?
・学びや気づきがある?
・逆に、疲労感が残る?
そんな素朴な基準です。
すると
ただ「誘われたから行く」という選択が
自然と減りました。
無理に断るわけじゃない。
ただ、自分の時間の使い方を
丁寧に選ぶようになっただけ。
それだけで、
不思議と心にゆとりが生まれました。
2、会話の“質”を意識するようになった
正直な話、
話していると疲れる人っています。
夫の愚痴、
姑の愚痴、
子どもの愚痴…。
誰かへの不満ばかりで、
そこに
“次の一歩”がない会話。
何か助言しても
「でも」「だって」と返される。
気づけば、
こちらだけエネルギーが減っていく。
ただ話を聞くのが
悪いわけじゃない。
人は落ち込む日があるし、
苦しい時は愚痴だって必要です。
でも、
ずっと同じ場所に留まり続けたい人と
自分のペースが合わないと感じたら
距離を置くのは悪いことじゃないと
思うようになりました。
逆に
話していて前向きになれる人もいます。
同じ愚痴話でも、
ユーモアを交えて話しながら
「次はこうしてみようと思う」と言ってくれる人。
こちらの意見を
ちゃんと聞こうとしてくれる人。
そんな人との会話は、
まるで“栄養”のように感じます。
私は、
この“会話の質”を
意識するようになってから、
同じ1時間でも
心の満足度が全然違うことに気づきました。
3、距離を置く勇気を持った
距離を置くと言うと
少し冷たく聞こえるかもしれません。
でも、
無理して付き合い続けるほうが
ずっと不誠実なんじゃないか
そう思うようになりました。
距離を置くと、
相手には相手の選択が生まれる。
- 別の人に話を聞いてもらう
- 自分の感情と向き合う
- 新しい価値観を取り入れる
どんな形になるかは相手次第。
そして私は、
静かな気持ちになる。
心に余白ができる。
その余白こそが、
新しい人間関係や成長の機会を
呼び込んでくれることに
あとから気づきました。
人間関係は、
“終わり”ではなく“形が変わる”もの。
そう考えるだけで、
ずいぶん気持ちが軽くなったんです。
4、友情を“均等に扱わない”ことを許可した
昔の私は、
すべての友達と
同じ距離感で接しようとしていました。
でも今は、
距離感は人それぞれでいいと思っています。
- 深くつながりたい人
- たまに連絡を取り合う人
- 今は距離を置きたい人
均等じゃなくていい。
誰とどうつながるかは、
人生のフェーズによって
変わっていくのが自然だと
感じるようになりました。
5、利害関係だけの友情は手放した
表面的には楽しく見えるけど、
実際、よく考えてみたら
利害でつながっているだけ。
そんな関係は、
自分にとって大切ではないと
やっと認めることができました。
手放すと、
驚くほど心が軽くなった。
そして空いた余白に、
本当に大切にしたい人との時間が
自然と戻ってきました。
気づいたこと
今回の経験を通して
はっきりわかったことがあります。
関係を”精算する”とは
縁を切ることではなく
距離を調整すること。
これは本当に大きな学びでした。
友達との時間は、
義務ではない。
相手を否定する必要もない。
ただ
「自分の心と人生を
どう使いたいのか」
これを自分に問うだけでいい。
そして
- 前向きな会話ができる相手
- 学びや気づきを得られる相手
- 尊重し合える相手
こういう人との時間こそが、
自分を豊かにしてくれる。
逆に
愚痴ばかりで何も変わらない会話は
エネルギーを奪うだけ。
距離を整えることは
“冷たい行為” ではなく
“自分を大切にする選択”。
これに気づいてから、
私は友達との関係が
驚くほど心地よくなりました。

まとめ
これまでの経験から、私は
こんな風に考えるようになりました。
「友達だから会わなきゃ」ではなく
「この人との時間は
自分にどんな影響を与えるか」
を基準にする。
この基準は
とてもシンプルですが、
人生の質を大きく変えてくれます。
友情とは、
永遠に同じ形で続けなければいけない
義務ではありません。
互いに尊重しながら、
その時々の自分に合った形に
選び直していくもの。
そんな風に私は考えます。
心地よい距離感を見つけて、
“成長”と“安心”の
バランスが取れた人間関係を育てる事で
自分軸の友情を育てていけたら
友人と呼べる人との関係は
もっと温かく
もっと豊かになるんだと思っています。
今回も
お読みいただきありがとうございました。












コメントを残す