無責任な人に振り回されないために。子供の地区委員で学んだ「距離の取り方」

私は今年、地域の学校の活動で
“地区委員”という役割を
任されています。

3人で担当していて、
そのうち1人は男性。

地区長という“まとめ役”を
お願いしたのが、
今回のお話の中心にいる男性です。

仕事ではなく、
地域のボランティアの当番。

だからこそ、本来は
できる範囲で無理なく
協力し合えばいいはず。

そんな“ゆるいはずの活動”で、
私はひとつの壁に
ぶつかることになりました。

それは

任された仕事を平気で人に押し付け、
その上、感謝すらしない人と
どう付き合うか。

この問題に直面した時、
私は正直かなりモヤッとしました。

そして

どう距離を取り、
どう心を守るべきなのか――

深く考えるきっかけにもなりました。

今回はその経験をもとに、
無責任タイプの人と
同じチームになった時、
どんな姿勢で向き合えばいいのか。

私なりの答えを
書いていきたいと思います。

地区委員という“ゆるくて、意外と大変な役割”

子どもが小学校に通うと、
どこかのタイミングで誰かが
“地区委員”やPTAなどの係を
引き受けることになります。

活動内容は学校によって違いますが
うちの地区では

当番での登下校見守りや
学校行事の補助、
地域のイベント調整など

“細かいけれど必要な仕事”が
ちょこちょこ発生します。

とはいえ、
これは正式な仕事ではなく
あくまで地域のボランティア。

できる範囲で
無理のない範囲で
みんなで助け合ってやればいい。

――本来は、そういうものです。

私はそのつもりで、
今年の地区委員を引き受けました。

ところが

実際に動き始めてみると、
最初から「あれ?」と思うことが
いくつも重なっていったんです。

地区長の彼

最初の違和感

3人のうち、1人は男性(パパさん)。
地区長という“まとめ役”は
自然な流れで彼にお願いしました。

がしかし、

活動が始まると
すぐに違和感が見えてきました。

たとえば、
イベントの準備をするとき。

「自分の家にはプリンターがないから」と
人任せ。

お祭で使った洗濯物も
「家では出来ないから」と
人任せ。

必要だろうと予想できる
ハサミやガムテープも
一切持ってこない。

私も、もう一人の委員の人も
お互いがスムーズに動けるように
考えて工夫していました。

しかし、彼はと言えば――

他人の備品を当然のように使い

「あ、これ借りますねー」
とだけ言って
何も返さずにそのまま。

それでいて、
“頑張ってます”という雰囲気だけは
しっかり出してくる。

いわゆる、
自分、やってますよ! アピール

いや、アピール以前に
自分でも何か用意しようよ…と

心の中で何度ツッコんだか
わかりません。

…でも、まあ、

人には得意不得意もあるし、
最初は深く考えていませんでした。

しかし、
この“違和感”は
予兆に過ぎなかったのです。

丸投げ、そして無言の「当たり前」感

ある日のこと。

地区長である彼が担当する、
登下校の見守り当番の日が
近づいていました。

その日は、
本来なら地区長である彼が
責任をもって現地に立つべき日。

この役目は、
年度初めに確認した用紙でも
しっかり記載されていたことでした。

ところが、直前になって
地区委員のグループLINEに
こんなメッセージが流れてきました。

「○日の見守り、
行ける人いませんか?」

一瞬、
画面を見つめてしまいました。

“え?
その日ってあなたの当番だよね?”
“しかも、かなり前から
分かっていた日だよね?”

そんな思いが
静かに胸の中で広がります。

とはいえ、

私は今回は当事者ではなく
予定的にも難しかったので
あえて反応せず様子を見ることにしました。

すると一緒に担当している
もう一人の委員さんが、
「私、行けますよ」と
代わりを申し出てくれました。

その後、
地区長から送られてきたのは
こんな短いメッセージ。

「場所は〇〇です。時間は□□です。」

……それだけ?

代わりを引き受けてくれた
相手へのねぎらいも、
「申し訳ない」の一言もない

“助かった”という気持ちが
わずかでもあれば、
自然と出てくるはずの言葉が
まったくありません。

その、無言の
「当然でしょ?」という空気感に
私は静かに軽蔑しました。

責任を果たせなかった自覚もなく、
代わってくれた人への敬意もなく、

ただ用件だけを淡々と伝える。

その一言の軽さが、
むしろずしんと胸に滲みました。

極めつけの「伝えたつもり」事件

もうひとつ、
地区長の振る舞いについて
印象に残っている出来事がありました。

イベント参加者の集計を
私が担当していた時のことです。

事前に全家庭へ提出をお願いし、
そろった希望をもとに
人数や学年のバランスを見て
すべてのチーム分けまで
終わらせていました。

そんなタイミングで、
地区長から連絡が入りました。

「うちの家族の参加希望、
伝えてあったと思いますが…」

提出された用紙にも
メッセージにも
お名前はありません。

そのため私は、
“参加なし”として
公平な基準で処理をしていました。

少し驚きながら
詳しく伺うと、
地区長が“伝えたつもり”だったのは

募集方法の話し合いの中で
「うちはこういう形で参加するかな」
といった、
あくまで雑談レベルの言葉でした。

正式な提出とはまったく別のものです。

しかし

地区長ご本人は、それを
“伝えた”と認識されていたようで

結果として、私はもう一度
調整し直すことになりました…

もちろん、
地域活動では柔軟さも必要です。

けれども
決まったルールや手順があるのには
それなりの理由もあります。

この件から、私は

責任感が薄い人ほど、
自分の認識を過信しやすい」

ということを改めて感じました。

善悪というより、
価値観や基準の違いが
大きなズレとして
現れてしまうんだと思います。

「都合のいい時だけ出てくる」という人は実際に存在する

私はこれまでも、
彼の振る舞いには
何度もモヤッとしてきました。

  • 都合の良い時だけ参加して ちゃっかり差し入れをもらう
  • 集まりのあと、余ったお菓子を当然のように持ち帰る
  • 責任がかかる場面になるとなぜか姿が見えない
  • 自分に火の粉がかからないように上手く逃げる

それらの積み重ねがあった上で、
今回の丸投げ事件。

さすがに

“あぁ、こういうタイプか…”
と強く感じざるを得ませんでした。

無責任な人は「悪気があるわけではない」ことも多い

この一件から気づいたのは、
無責任に見える行動の多くは
必ずしも悪意によるものではなく、

  • 自覚の薄さ
  • 認識の甘さ
  • 「このくらいでいいだろう」という感覚

こうした差によって
生まれてしまうのでは?
という仮説でした。

ただし、その“認識のズレ”に
周囲が振り回されてしまうのは事実です。

だからこそ

私はこの経験を通して
ひとつの大きな結論に辿りつきました。

こういう方とは、

「深く関わらないことも、大人の知恵」

だと。

まとめ

今回の経験を振り返って感じたのは

どんな場にも
“責任感の基準”が違う人はいる
という、言ってみれば
当たり前の事実でした。

誰もが同じ温度で動けるわけではなく

自覚の度合いも、気配りの深さも
価値観もまったく違います。

だからこそ――

自分の心を守るために必要なのは、

  1. 相手の行動を変えようとしないこと
  2. 無責任さに巻き込まれない距離を置くこと
  3. 必要な時だけ淡々と“対応”に切り替えること

この三つだと、私は強く感じました。

相手が変わることを期待し続けると、
どうしても疲れてしまいます。

けれど、

関わり方は
自分が選ぶことができます。

  • 丁寧に。でも、必要以上に踏み込まない。
  • 期待しない。
  • 笑顔は見せつつ、心までは預けない。

これは

地域活動だけでなく
仕事やママ友づきあい、
PTA、自治会――

あらゆる人間関係に通じる
大人の距離の取り方だと思います。

若い頃は、

せっかくのご縁だもの、
仲良くしたい。
一緒に頑張りたい。

そんな気持ちを大切にしてきた私でしたが、
最近は

自分と合わない相手に
自分の理想を押し付ける事に意味はない

そんな風に考えるようになりました。

無責任な人と出会ったとき、
私たちができることは

自分の時間を楽しいものにするために
無理なく、冷静に。

私はこれからもこの姿勢で、
地域活動に向き合っていこうと思います。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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