今回も、夫とのやり取りで
気付いたことを書いていこうと思います。
よく
「女性は共感を大事にする生き物で、
男性は結論を先に考えがち」
そんな話をよく聞きます。
それって極端な話で、人間なんだから
私はどちらも時と場合によって求めているでしょう?
って思うんです。
今回は、そんな
“男女の違い”という単純な話ではなくて
「そもそも人と話す目的が違うと、
共感そのものが成立しない」
「共感が成立しないとき、
私たちはどう向き合えばいいのか」
そんなことを考えた体験を書いてみます。
Contents
きっかけ
私が
「こう感じた」と話すと、
夫はすぐに、
「じゃあ、こうすればいいんだな」と
結論を出そうとする。
いや、そうじゃない。
私は“共感”がほしかっただけで、
“答え”がほしかったわけじゃない。
・・・
よくある男女のすれ違いシーンですね。
でも、それを伝えると
「じゃあ、何がしたいんだよ!」と、
不機嫌になってしまう。
そうして話がこじれていくうちに
だんだん私は、
“夫は話の目的を勝ち負けにすり替える人なのかもしれない”
と気づき始めたんです。
共感ではなく、勝ち負けで話す人
「俺はこういうふうに解釈した。
お前が言った言葉だろ。責任をもて。」
これ、夫が言ったセリフです。
私は強烈な違和感を覚えました。
え?
それって、あなたの解釈じゃないの?
私がどう伝えたかではなく、
あなたがどう受け取ったかの話でしょ?
でも、夫の中では
「俺がそう受け取った=お前がそう言った」
と同義になっている。
そこに、
“勝ち負け”の構図が生まれている。
つまり・・・
“どちらが正しいか”という土俵の上でしか
話ができない人になっている…
と感じました。
共感のない会話は、どこまでも平行線
こういう人と話していると
どんなに丁寧に言葉を選んでも
結局は
「勝ち負け」や「正しさ」の問題に
すり替えられてしまいます。
例えば、
私が「悲しかった」と内面の話をしても
「じゃあ俺はどうすればよかったんだ?」
「お前だって前にこう言ったじゃないか」
と、論点がどんどんズレていく。
私の感情は、まるで
証拠品のように扱われて
検証され、
否定され、
最終的に
「お前の方が悪い」で終わる(笑)
最初は必死に説明していました。
「そういう意味じゃなくて…」
「私はただ、こう感じたって話で…」
でも、
説明すればするほど、
相手の“勝負モード”に
巻き込まれていく感覚・・・。
このやり取りの中で、
私はあることに気づいたんです。
——夫は、
私と“話して”いない。
夫は、“勝って”いたいだけなんだわ
と。
勝つことでしか自分を守れなくなっていた人
ここで少し背景を。
夫は経営者です。
30代の頃に起業し、20年以上
自分の判断ひとつで会社を動かし
数えきれないほどの
“勝ち負け”の中を生き抜いてきた人です。
「間違えたら終わる」
「判断を誤れば、誰かに迷惑がかかる」
そんな緊張感の中で
“勝つこと=生き延びること”
になっていたのだと思います。
そう思うと…
家族の前でも、つい
その延長線上で話してしまうのかもしれない
それは理解できるんです。
勝ち負けのない関係性の中で、
ただ
「そうなんだね」と言えばいいだけの場面でも
無意識に
“自分の立場を守るための会話”
になってしまう。
たぶん
本人も気づいていない。
でも、長年そうやって
“戦うこと”を仕事にしてきた人にとっては
それが「普通」に
なってしまっているのかもしれません。
だからこそ、
私は最近こう思うようになりました。
彼が「勝とう」としているとき
それは
“私を攻撃している”のではなく
“自分を守るための癖”
みたいなものなんだろうな、と。
そう考えると
…少しだけ憐れにも思えてきます。
戦わなくてもいい場所で
まだ戦い続けているなんて―。
それは、きっと
誰よりもしんどいことだと思うんです。
自分の意図を明確にして、解釈の責任は相手に返す
以前の私は
“誤解されたくない”一心で
何度も言葉を重ねていました。
人間、間違いには敏感で
正したくなるもんです。
「そういう意味じゃない」
「ちゃんと伝わってほしい」
でも、そんな私の努力は
ほとんど報われませんでした。
なぜなら
相手が“勝ち負け”の土俵にいる限り
どんなに言葉を尽くしても
最初から「理解」ではなく
「反論」の準備をしているから。
私はそこで、ようやく気づきました。
——ああ、もう
相手の解釈まで私が
背負う必要はないんだわ、と。
私の責任は、
“どう伝えるか”まで。
“どう受け取るか”は、
相手の領域。
そこまでを背負おうとすると
相手の「戦う癖」にまで
私の心が巻き込まれてしまう。
だから今は、
「私はこう思う」とだけ伝えて、
それ以上は追いかけません。
たとえ相手が曲解したとしても、
「そう受け取ったのね」と
一言で終わらせる。
その一線を引くだけで、
心がとても軽くなりました。
“共感してもらえない”
苦しさよりも、
“わかってもらおうとしすぎる”
苦しさの方が、
ずっと自分を疲弊させていたのだと思います。

勝ち負けの外に、自分の心を置く
人と話すとき
私がいちばん大切にしたいのは
「目的」なんです。
相手を変えたいのか。
理解してもらいたいのか。
それとも、
ただ自分を整えたいのか。
目的がズレた瞬間に
会話は闘いになります。
だから私は、
意識的に、“勝ち負けの外”に
自分を置くようにしています。
私は誠意をもって
相手に伝えようと努力した。
であるならば、
理解されなくてもいい。
共感されなくてもいい。
ただ、自分の中で
「私は努力した。そして、こう感じた」と
整理できれば、それで十分。
相手がどう受け取るかは、
もう私の問題ではないんですね。
まとめ
人はそれぞれ、
過去の経験や環境の中で
“自分を守るための話し方”を
身につけてきたんだと思います。
夫もきっと
戦いの中でしか生きられなかった時間が長かった。
だからこそ、
家庭でもまだ戦ってしまう。
でも私は、
もう戦いたくない。
勝つことよりも、
「穏やかでいること」を選びたい。
そのために
自分の意図を明確にして
相手の解釈まで責任を持たない。
この線引きは、
冷たさではなく
“自分を守るための優しさ”
”相手を否定しない誠意”。
たぶん、これからも私は何度も同じ壁にぶつかるでしょう。
でもそのたびに、
「勝つか負けるか」ではなく、
「どう在りたいか」で選べる自分でいたい。
——結婚して17年。
まだまだ攻略は難しいけれど、
少しずつ
“戦わない強さ”を育てていこう
と思います。
今回もお読みいただきありがとうございました。












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