40代に入ってから、
なんだか周りの友達の間で
白髪染めの話題が
急に増えた気がしています。
「そろそろ毎月染めないと
追いつかなくてさ〜」
「根元が伸びるたびに
鏡見るのがイヤになるよね」
近所のママ達と顔を合わせると、
そんな会話が当たり前のように
交わされるようになりました。
でも、私はというと、
白髪染めはしていません。
今回は、私の”白髪染め”に対する
考え方をまとめてみようと思きます。
Contents
たった1本の白髪に心が緩んだ瞬間
先日ふと鏡を見たとき
もみあげのところに
ひょろっと 1本だけ
白い毛が混じっているのに
気づいたんです。
最初は
「うっわーこんなところにまで」
と思ったのですが
じっと眺めているうちに
なぜかその 1本が
とても可愛く見えてきて(笑)
「ああ、私もちゃんと
歳を重ねてるんだな」
そんなふうに
ほっと心が緩むような
不思議な感覚があったんです。
歳をとるって、
もっと醜くて怖いことだと
思っていたけれど
実際のところ、
こんな優しい感じで
やってくるものなんだな、と。
そんな風に感じました。
“美しさ”の定義が外側に委ねられすぎている気がする
私が自分の中で
エイジングと向き合っている一方で
周りの雰囲気は
まるで別世界のように感じることがあります。
ネットの広告を見ても
美容整形のCMを見ても
出てくるのは
肌の白い、つるつるの
20代くらいのキラキラした女の子ばかり。
そのイメージこそが「美しいもの」として
堂々と提示されている。
もちろん、
若さが美しいのは自然なことで
私自身も
「わ〜かわいい子…」
と、思わず癒されることもたくさんあります(笑)
でも
なぜか日本では
「それだけが正解」 みたいな空気が
漂っているような気がして・・・
それを感じるたびに、
私は少し切なくて
時々、うんざりさえしてしまう。
本当は美しさの答えなんて
ひとつじゃないはずなのに、
なぜか、正解が
“ひとつ” に
押し込められてしまう感覚。
白髪が出たら、隠す。
シワが増えたら、消す。
たるみが気になるから、引き上げる。
それを選択するのは
もちろん自由だけれど
「選ばなかった側」が、まるで
”間違い”を犯しているかのような
そんな違和感を感じる時が
時々あります。
そんな雰囲気に包まれる必要は
まったくないはずなのに。
日本で刷り込まれてきた「美は均一」という文化
どうして私は白髪に対して
こんなにも
“ポジティブな驚き”を感じたんだろう。
その理由を考えた時、
ふと頭に浮かんだのは
日本の美意識のことでした。
日本には、良くも悪くも
「均一」を求める文化がありますよね。
美に関して言えば、
- 肌は白くて、シミも毛穴も見えないのが正解
- シワは少なく、髪は黒く艶やかであるべき
- 年齢を感じさせない若々しさこそが美しい
テレビや広告を見ても、
「整った顔」
「若い肌」
「均一な美しさ」
これらが当たり前に並んでいる。
美容整形やスキンケアのCMでも
出てくる人の顔つきがどこか似ていて、
肌質も同じ方向を向いている。
いつの間にか、私たちは
「美しさってこれが正解なんだよ」
と無言で指し示され続けてきたのかもしれません。
だからこそ、多くの人が
“美しさの正解は1つ”と
思い込んでしまう。
- 流行に合わせて整えていく
- 周りから浮かないようにする
- 年齢を隠すように振る舞う
そんな“美の正解”のようなものが
静かに心を縛ってしまっている気がするんです。
海外で出会った「美意識の自由さ」──ローラという衝撃
こんな日本の“均一の美”に、
どこか息苦しさを感じていた私ですが
ふと、留学中に出会ったイタリア人、
ローラのことを思い出しました。
ローラは、とにかく
パッションピンクが大好きな女性でした。
バッグも、靴も、ポーチも、
時にはコートの裏地までピンク。
日本の感覚でいうと
「す、すごい…!」
と圧倒されるくらいの派手さ。
だけど、彼女はいつも堂々としていて、
話しかけると
「すてきでしょ?」
と、いつも顔全体で笑っていました。
その姿は、もはやファッションではなく
“生き方そのもの”のように見えて
なんだか、かっこよく感じたんです。
もう20年以上も前の出来事で、
当時は、ただ、
”カルチャーショック!”と
軽く捉えていましたが…
「これが私の好きなもの」
と全身で語るローラに衝撃を受けたんですね。
私はあんなふうには真似できないけれど
でも、ローラを見ていると
自分の好きなものをもっと大切にしていいんだ
「周りにどう見られるか」ではなく
「自分がどう感じるか」を軸にする強さ。
自分の好きなものを愛していいんだ
という気持ちが素直に湧いてくる。
周りの目より、自分の軸。
均一より、自分らしさ。
そういう美しさがあってもいい。
そう静かに教えてもらった気がするんです。
自分の美しさを、自分に返していく
40代になって
白髪を見つけた私の心がふっと緩んだのは
たぶんこういう経験が
積み重なっていたからかもしれません。
美しさを誰かに判断されるんじゃなく、
自分に返していくタイミングが
ようやく訪れたのかもしれない
そんな風に感じました。
歳を重ねることは、
マイナスではなく、
ただ“変化”していくというだけのこと。
白髪が増えるなら、
拒むという選択肢だけじゃなくて、
受け入れる自分を楽しんでもいい。
シワが刻まれるなら、
そこに宿る感情まで愛してもいい。
そんなふうに思えるようになって、
私は以前よりずっと心が軽くなりました。

“美しさを自分の軸で選ぶ”ということ
美しさを外側の評価に委ねすぎると、
心がどんどん疲れていきます。
- 若く見えるか
- 周りからどう思われるか
- 比較して落ち込むか
そういう基準で生きるほど、
自己肯定感は削られていく気がするんです。
でも
でも、自分の“好き”の感覚を
少しずつでも信じられるようになると、
白髪があっても、
シワが増えても、
以前よりずっと胸が軽くなるし
背筋が伸びる。
40代の今だからこそ、
誰かの基準ではなく
自分が心地よいと思える美しさを
選べる楽しさに気付きました。
周りに合わせなくてもいい。
同じ方向を向かなくてもいい。
“隠す”を選ばないことも間違いじゃない。
美しさには
もっとたくさんの形があって、
そこにはちゃんと
わたし自身の答えがある。
そんなことを、
この歳になってようやく
静かに理解できた気がしています。
とはいえ
私も、いつかみんなのように
白髪染めをするかもしれない。
でも、
「格好悪いから」
「みんながやっているから」
ではなく
”こんな自分になりたいから”
と、言えるようになりたいな。
そんな風に思うんです。
さいごに
この記事が、
「白髪どうしよう…」と
ふと悩んでいる誰かの心を
少しでも軽くするきっかけになれば嬉しいです。
美しさは
もっと自由で、
もっと優しくていい。
今日も、自分の好きな感覚を
ひとつだけ大切にできれば
それだけで十分なのかもしれません。
色んな事に気付ける毎日に
感謝して。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。












コメントを残す